再開 1

少し昔の話をしようと思います。


ジョルジュ・サソク通りから脇道を一本入ったところにレバノン料理のレストランがあります。


パリのこのあたりには祖国の市民戦争を逃れてきたキリスト教のレバノン人が多く在住し、彼らの経営する宝石店やレストランなどが集中しています。


彼らは皆、アラブ語と共にフランス語を流暢に話し、一般にお洒落で派手好きで、もてなし好きです。


いっとき、レバノン料理に少し傾倒していた私はこの界隈の店を何軒か試し、自分なりにマルバツをつけていたが、Eは中でもかなり気に入って頻繁に訪れていた店でした。


さてそんなある夜のこと、いつものようにこの店で食事をしていた私は、そこで思いがけない人と再会しました。エグゼクティブトレードによると、普通の店に比べ盛り上がる時間がさらに遅いのがレバノン料理店。


夜の11時を過ぎる頃も店内は「まだまだこれから」という雰囲気で満たされています。

気になること その7

思春期の反抗

反抗は子どもの成長の現われであると同様に、伸びてゆきたいとの意欲を現わすものであり、古いものを新しいものにつくりかえて行く力の現われでもあるからです。

このエネルギーをどう向けるかが問題なのであり、この時期をいかに有効に過させエネルギーの浪費を少なくするかの注意が必要なのです。

その点からは子どもにはやはり予防注射が必要であるのと同様、ある程度の保護を加えねばならないといえましょう。

以上によって子どもの特徴を非常に大まかながらとらえてきたことになります。

気になること その6

思春期の反抗

たまたま無断で映画に行った子どもに対して、「あなたはまだ子どもでしょう」といえば、「私は大人です・・・・・」と答えるでしょう。

母親の方では、洗濯の話のときには子どもを大入あつかいにし、映画について意見するときには子どもあつかいをした方が好都合なのです。

このような親子関係が、第二反抗期の状態を悪化させるわけですが、反抗という問題を子どもの成長発達という面からみますと、必ずしも、非常に困ったことだと考える必要はありません。

★ショート・ショート★★

★ショート・ショート★★


親の権威とか、社会の上下関係といったようなものを彼女はあまり信じていないようでした。


その意味でクリスティーヌは、フランスのある世代の典型的な申し子です。


世界中に余波を巻き起きした六八年の五月革命。


あの頃に若者だった世代は、日本でいえば団塊の世代にあたります。


フランスでは「六八年世代」と呼ぼれ、それに先立つ世代とも、またそれに続く世代とも一線を画したちょっと特殊なかたまりです。


一口にいってしま、兄ば彼らの多くは一生、若者でいることを選択した人々だ。


「物分かりのよい大人」であることをよしとする彼らは、若者と同じ言葉を話し、若者と同じ地平に立ち続けようとする。


生涯、腕白であり続けようとする彼らは、いったん理想に裏切られたことによる苦い思いをどこかにかか、兄ながら、相変わらず、少し青く、リベラルです。


たとえ表面的には部長の椅子におさまってデスクトップ仮想化な様子を醸し出していたとしても、心のどこかに彼らは自負と気恥ずかしさを隠し持っているーそんな世代にクリスティーヌは確かに属していた、それも大いなる誇りを持って・・・。

気になること その5

思春期の反抗

マルタン・デュガールの「チボー家のジャック」に私たちはそうした少年の影像をみることができましょう。

つまりある意味では、大人は自分たちのあこがれの的であり、子どもは大人の真似をしてみたくなるわけです。

これを親の方からみますと、子どものくせに生意気だ、そんなことを許していたらどんな人間になるかもしれないーということで、またおさえつけようとします。

子どもの本質を理解しないで、おさえつける力が強ければ強いほどそれに対する反抗が強まります。

ついでにもう一つつけ加えますと、親も子もお互いに勝手なもので、親子の利害は相反し、くいちがうということです。

たとえば日曜日の朝、「早く起きなさい」といわれたり、「何ですかあなたは、もう中学生にもなって、自分の洗濯ぐらいしなさいよ。

お母さんはね、あなたの年では朝御飯のしたくでも・・・」と、かみつく母親に対して、子どもは、「まだ私は子どもですよ・・・」と主張します。

気になること その4

思春期の反抗

そこでつぎに、※思春期の反抗、すなわち第二反抗期のことですが、これも同じことがいえると思うのです。

中学生にもなりますと、身長は母親と対等、もしくはそれ以上で、角力でもすれば母親は投げとばされるにきまっています。

理屈をいわせてもなかなか負けません。

しかもまた、父親や母親のいうことなすことに矛盾の多いことも知つていますし、批判する能力も十分です。

他面、子どもはやはり本質的により高い存在でありたい、より強い存在でありたいという強い欲求をもっています。

雨水

大きなビルの雨水利用システムに国の補助金が付くようになりました。

これは国技館が大きなきっかけになったと思います。

東京ドームも降った雨を溜めて、水洗便所や冷房の水に補給水として使っています。

東京都も昨年、「節水懇」の答申を受けて、面白い決定をしました。

学校や病院については積極的に雨水利用を採用するということを決定したのです。

しかし、ここで注意しなければならないことがありました。

それは、雨水利用が上流の大規模な水源開発の免罪符であってはならないということです。

たとえば、シンガポールでやっているような徹底した節水をして、極力都市が水源の自律を図り、そのなかでもう一回水資源開発の是非を考える。

そういう意味では、雨水利用の推進は今後の水資源政策の基本戦略になると思います。

こういった様々な取り組みには関心しますよね。

最近では、コンピューター周辺機器関係の消耗品である、トナーもリサイクルトナーと言うエコ商品で出ています。

これは、容器を再利用すると言う画期的なものです。

トナーの容器は案外大きいので、捨てるときにかさばるんですよね。

なので、この商品には大変助かっています。

気になること その3

エネルギーを無駄に失わないように合理的に処理するためには、子どもの発展してゆこうとする意欲や本質的な欲求をはっきりと認め、そういう欲求は我々の力によって抑えることができないということを知り、また子どもの年齢相当に、社会生活の規範(正しい躾)を与えておくことが大切です。

要するに反抗というものは力を獲得したことを意味するわけですから、わたしたちは子どもたちのそうした状態を十分理解していくべきで、頭からおさえつけようという考え方では絶対におさまりません。

またそのエネルギーをおさえるのでなくて、そのエネルギーを好ましい方向へ向けかえることが、親としてあるいは大人としての、子どもに対する態度でなければならないことを銘記していただきたいのです。

気になること その2

この生きたものの生命の発展してゆくちからをおさえ、とどめる事は絶対に出来ません。

ただ問題は自己中心的な動物的な存在として生まれた子どもたちが、三歳になるまでそのままの姿で、全く社会生活の規範が与えられていなかったばあいにおこるのです。

そのときこそ母親が朝から晩までイケマセン!イケマセン!を連発しなければならない状態が予想されます。

そしてはては親子のトラブルということになり、親子間の種々の溝を深め、やがて二人とも疲れはてるといった状態がおこるわけです。

結局反抗期は、このような自然の発達から来る欲求としつけとのあつれきからおこるわけです。

気になること その1

『生きているものは、必ず成長発達をするものである。

生きているものは常に動くものである。

生きているものは、その獲得した能力を、さらに発展させようとするものである』

ということです。

こうした考え方で子どもをみますと、子どもの中に獲得された力、発展して行こうとするエネルギーをおさえることは、決して出来ないわけです。

歩く能力を獲得した子どもは、歩き回ります。

棒ぎれをふりまわすことのできる子どもは、棒ぎれをふりまわし、性的に成熟した子どもは異性を求めます。

これほど自然な姿はありません。

そしてそれは全ての生きたものの生命の現われです。

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