ヨーロッパの怪異!「ペスト」その5

死への恐怖を多少なりとも和らげようと考えたのだろうか。

フランドルのトゥールネでは市当局による強力な統制がしかれ、教会で鳴らす弔いの鐘は禁止。

弔いに欠かせぬ存在だった泣き女も失業に追い込まれた。

「死」との日常的接触そのものが断たれたのである。

また、目に見えない恐怖により、人々の創造力をもたくましくしたことを、ミニアチュールでうかがい知ることができます。

ヨーロッパの怪異!「ペスト」その4

ペスト菌による災禍は神以外の何者にもなせるはずがない、神の下した罰にちがいないと考え、わが身を痛めつけ神の許しを乞う鞭打ち苦行も流行をみせた。

死の恐怖から逃れるために集団舞踏の現象がおこることもあった。

人びとは群れをなし、時には全村あげて半狂乱になり踊り狂ったという。


オーヴェルニュのフレスコ画はその光景にヒントを得て描かれたものだろう。

未完成に終わったこともあろうが、生者と死者(骸骨姿で描かれている)がペアで舞踏をするこの図からは、底なしとでも形容したくなるほどの凄みすら感じられる。

ヨーロッパの怪異!「ペスト」その3

ペスト菌により、昨日まで健康だった者が突然発熱や吐血、腫瘍に見舞われ、黒い斑点が全身を被う。

いったん発病してしまうと死亡率はきわめて高かった。

人によって差はあるものの、早い者には数日で死が訪れたという。


ペストの原因についてはさまざまな憶説が流れた。

悪魔の仕業とする説、汚染された大気による空気感染を指摘する説、夜空に浮かぶ星の配置に因を求める者もいた。

ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだという流言も広まり、各地でユダヤ人集団殺戮という悲劇が無数におきている。

ヨーロッパの怪異!「ペスト」その2

記録に残る最古のペストは6世紀のエジプトに発生したもので、その後もたびたび世界各地を襲うことになるが、最大の被害を出したのはやはり1348年からヨーロッパで広まったものだ。

全ヨーロッパで3人に1人が犠牲になったというのだから。

ペスト菌はその前年10月、地中海交易路を通じてクリミアからシチリア島のメッシナに上陸していた。

それからわずか2年で西ヨーロッパ全域に蔓延したというのだから、その伝播の速度は凄まじい。

ヨーロッパの怪異!「ペスト」その1

アンドレァ・オルカーニャの『死の勝利』、ペーテル・ブリューゲルの同名作品、フランスはオーヴェルニュ地方のラ・シェーズ・ディウ修道院付属教会に残るフレスコ画『死の舞踏図』。

これらはいずれもペストの惨禍を描いたもので、どの絵からも人びとの苦悶、恐怖、絶望が生々しく伝わってくる。

当時はその原因すらもわからなかったのだから、いたずらに脅えているしかない。

次は自分の番なのではと誰もが日夜不安に嵜まれていたにちがいない。

ヨーロッパの怪異!「ハーメルンの笛吹き男」その3

事件を伝える最古の史料はハーメルンのマルクト教会に残るガラス絵とそこに添えられた短い文章だが、ガラス絵に描かれた笛吹き男の服の色とデザインは植民を指導した貴族の紋章を表わすものであり、一行は途中で不慮の事故にでもあい全滅したのだろうという。


それから事故説。

ヨハネとパウロの祝日というのはもともと夏至の祭だったものに中世以降教会がキリスト教の覆いをかぶともせたもので、古来よりその日にはポッペンブルク山で火を点す習慣があった。

ところがその山は霧でおおわれることが多く、近くには底なし沼がある。

子供は自分たちだけで出かけ、全員うっかり沼にはまってしまったというものだ。


あるいは祭の熱気によって精神に異常をきたし舞踏病にかかってしまったという説、宗教熱に駆られて少年十字軍として聖地へ向かったという説などもある。

ヨーロッパの怪異「ハーメルンの笛吹き男」その2

少年少女130人の失踪事件は確かに1284年6月26日ハーメルンでおこっている。

ただし、ネズミとり男による復讐の話は16世紀になって加えられた創作だが。

失踪の原因については近世以降さまざまな憶測がなされている。

まずは東方植民説だが、これは当時盛んだったプロイセン地方などへの移民活動をさすもので、130人は子供ではなく集団結婚式をあげたばかりの男女65組、笛吹き男はその請負人だったというものだ。

また同じ植民説で、笛吹き男はそれを指導した貴族という説もある。

ヨーロッパの怪異「ハーメルンの笛吹き男」その1

ハーメルンの町ではネズミが増えて困っていた。

そこで放浪のネズミとり男に退治を依頼したところ、男は笛を使ってみごと町中のネズミすべてを川に誘い込み溺死させた。

ところが、町の人びとが約束の報酬を支払わなかったことから大事件が出来する。


男が吹く笛の音に誘われ、4歳以上の少年少女計130人が男のあとについていき、町の東郊外にあるポッペンブルク山で全員跡形もなく消え失せてしまったのである。

事件がおきたのは1284年6月26日、ヨハネとパウロの祝日のことだった。

グリム童話にも載せられ、「ハーメルンの笛吹き男」という題名で知られるこのできごとはまったくの創作、あるいは伝説というわけではない。

ヨーロッパの怪異!「ミノタウロス」その4

ダイダロス。

「ミノスは陸と海は支配できるだろうが、大空までは支配できまい」と鳥の羽を集めそれを糸と蝋でとめ、大きな翼をつくりあげた。

イカロスは太陽に近づきすぎたため蝋が溶け落下死を遂げてしまったが、ダイダロスは無事シチリア島に着地したという。

以上のエピソードは長らく、古代ギリシア人による全くの空想の産物と考えられていたのだが、1900年イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズによってミノス王のものと思われる宮殿跡の発掘が開始され、多くの遺構が姿を現わすにおよび、にわかに現実味を帯びてきた。

何らかの史実を踏まえたものであることは間違いないでしょう。

ヨーロッパの怪異!「ミノタウロス」その3

ミノタウロスの食料として朝貢国のアテネから毎年少年と少女各7人が送られてきたが、迷宮に放り込まれた彼らは逃げ出そうにも逃げられず、一人また一人と怪物の餌食となっていく。

ミノタウロスはアテネの王子テーセウスによって倒された。

テーセウスはさらにミノス王の娘アリアドネの助けを借りて迷宮からの脱出にも成功し無事帰国を果たすが、それを知ったノス王の怒りは尋常ではない。

この一件が直接の原因かどうか定かではないが、王はダイダロスとその子イカロスを迷宮の中燗じこめてしまった。

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